《ロメオとジュリエット》サシャ・ヴァルツ振付版 その2
- 2012.05.15 14:54
- Cat:ONP2011-12年シーズン
前回のUPで、気合いを入れすぎたか(笑)、
曲の解説が第1部で終わってしまったので、続きをば。
第1部が、作品全体の解説の役割を果たしているので、
本編は第2部からです。
先のエントリーにも書きましたが、ベルリオーズの「ロメジュリ」は、
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の「最も目立つ各場面の”情景”を描く」という点にありますので、
この第2部から本編が始まると言っても、
シェイクスピアの戯曲や、プロコのバレエ版のように、
逐一、登場人物間の一つ一つのやりとりを描いて行くわけではありません。
というわけで、ベルリオーズの曲を聞いていても、
ティボルトやマキューシオの主題のようなものが明確にあるというのでもないし、
(↑こうやって音楽にダイレクトに登場人物を登場させてしまうと、交響詩になってしまう)
舞踏会への忍び込みすら、まるで劇のセットがぱっと変わるか、
映画のように、次のカットでいきなり舞踏会!という感じ。
なので、音楽だけ聴いていると、本当にそれぞれの情景が張り絵のように「ぺたっ」と連続している感じがします。
こうすることで、第2部の場合は、
ロメオの心理状態に焦点を当てた状態で、舞踏会の場面にスムーズに移行できると。
まあ、もともとバレエの音楽は、物語を語るためというよりも情景を描くことに主眼があるので、
ベルリオーズのこういう音楽は、その意味で振付が入り込む余地がある作品と言えるでしょう。
舞台音楽は、この「余地」をいかに作るか、に作曲家の腕が試される分野で、
逆に、既成の曲に振付を付ける場合は、いかに「余地」を持った曲を探してくるか、というのが、
振付家、ないしドラマトゥルクの腕の見せ所と言えるかと思います。
デコりすぎのネイルアートが視覚的にうるさいのと同様に、
すでに情報がぎっちり詰め込まれた音楽に他の要素を加えると、とたんに「うるさい」舞台になってしまう。
なので、ヴァルツの振付では、ベルリオーズの音楽の「張り絵」を、いわば「3Dの絵」にするために、
振付で舞踏会への参加の過程が、やはり少し視覚的に説明されていると思います。
例えば、舞踏会のシーンへ移る前に、ロメオ役が同じ黒い衣装を着た2人の他のダンサーと一緒に踊ることによって、
シェイクスピア版でロメオ、マキューシオ、ベンヴォーリオが、
キャピュレット家の舞踏会に忍び込もうぜ!と相談しているシーンを、
観客に想起させることが出来ますね。
まあ、ベルリオーズの曲が「情景の連鎖」であることは、
ここに書くまでもなく、ベルリオーズが各部分に付けたタイトルを見れば、
おのずと情景描写であることは分かるのですけれども(笑)
第2部
・ロメオひとり
・哀しみ
・遠くから聞こえてくる音楽会と舞踏会
・キャピュレット家の饗宴
(アンダンテ・マリンコニコ・エ・ソステヌート〜アレグロ〜ラルゲット・エスプレッシーヴォ〜アレグロ)
第2部の音楽の面白さは、まず「ロメオひとり」の部分のふらふら上下行する半音階。
出だしから、1stヴァイオリンが奏するのですが、
例えば、
「ドファーーミ/ミ♭ーレミ ミ/レーーララ♭ソ/レ♭ード」
「シソーーソ♯/ラーシ♭シ♮ド/レーレ♭ドーシ♮ーミ/ミーーー」
と、半音でずりずり上がったり下がったり、という繰り返しの多いこと。
ダイナミクスも、ppp → ポコ・クレッシェンドでf → dimしてpp、と変化が激しいので、
これだけでも、ベルリオーズが速度表示で指示している、ロミオのメランコリックな側面が分かります。
メランコリックというか、ドリーマーなのかな。ロミオはマキューシオと違って、恋を信じている人で、
だからマキューシオにからかわれるのですものね。
ラルゲット・エスプレッシーヴォの個所に入ると、低弦がピッツィカート、打楽器群にバスク・タンバリンが加わって、ロミオの耳に舞踏会の音楽がちらほら届いている様子。粋だなあ。
で、アレグロから低弦の「ドレミファファ♯/ソーファファミミレ/ドー♪」が聞こえてくると、
もうロメオはキャピュレット家の宴会を見聞きできる場所まで来ています。
ここらへんは、振付でもきっちり対応していた印象。
アレグロの出だしで、ロメオと2人の黒服さんが、白い板の後ろで仮面を付けていたと思います。
舞踏会の旋律(「ドーシ♮シ♭ララソソッファー♪ラソファファミミードミミソソミファー♪」)は、
下行する音階。
同じ下行でも、「ロメオひとり」が半音階のずるずるぐずぐずした旋律なのに対し、
こちらはF-durの音階をほぼそのまま使ってあって、
テンポが速くなっているという事もありますけれど、ノリの良い旋律です。
これが弦から木管に移った後の部分、弦のピッツィカートが低弦から上に移動して行くところとか、
ベルリオーズ、ホントすごいなー(笑)
宴の最後は、シンバルじゃんじゃん鳴りまくりで盛り上がってます(笑)。
閑話休題。
・シェイクスピア版で、ロメオがキャピュレット家の舞踏会に忍び込むのは、
その時恋していたキャピュレットの姪、ロザラインの姿を一目見るため。ロメオ結構心変わり早い(笑)?
・ていうかそもそもロザラインに恋している時点で、敵方を好きになっている(笑)
・舞踏会の開催は日曜の夜。ちなみに幕開きの時間設定は日曜朝9時前。
第3部「愛の場面」
・静かに晴れた夜
・静かで人影のないキャピュレット家の庭
宴から帰るキャピュレット家の若者たちが、舞踏会の音楽を思い思いに口ずさみながら通り過ぎる。
(アレグレット)
(アダージョ〜アニマート〜アレグロ・アジタート〜アダージョ→PDD)
第3部の頭は、合唱が入り、
直前の舞踏会の場面で出てきた旋律の断片を歌っています。
歌詞でいうと、「bal divin, quel festin que de folles paroles」のあたり。
先の、舞踏会の旋律(「ドーシ♮シ♭ララソソッファー♪ラソファファミミードミミソソミファー♪」)に続く、
「ドーレドレドレ/ドーシ♭シ♭ソソミ」の旋律ラインが、
始まって2分くらいすると、繰り返されて出てきます。
テンポはゆっくりしているので、舞踏会の出席者が、
会の余韻を楽しみながら帰っている様子。
ヴァルツの振り付けでも、上手から下手へ、踊り疲れてねじまき人形のようになったバルの客たちが
舞台を横切っていきます。
合唱の部分が終わってアダージョに入ると、
いよいよ、シェイクスピア版のバルコニーの場面。
ヴァイオリン1が「シラ♪ソ♯ファ♯♪/ド♯ミ♪レ♯シ♯/ド♯」と、
いわゆる「ためいき音型」と言われる形の旋律をppで奏します。
これは楽譜で見ると一目瞭然なんだけどなー。
ジュリエットに恋してしまったロメオのため息でしょうかね。
このため息に引き続いて、ヴァルツ版バルコニーPDDのメイン旋律、
「ミーーーーーレミファファーソファミーレーミーーー♪」が、
4番ホルン&チェロで奏されます。PDDのはじまりはじまり。
ここらへんの旋律は、基本的にぐんぐんオクターヴ上行して、
頂点に達したらふわりふわりと下行するパターン。
テンポを頻繁に変えることで、恋した最初のころの心の上ずりみたいなドキドキ感が出てます。
幸せなんだけど、うわぁ、もうどうしよう!というあの感じ。
第4部 「愛の妖精の女王マブ」
・スケルツォ
(プレスティシモ〜アレグレット〜テンポ・プリモ・ウン・ポーコ・ピウ・プレッソ〜プレスト、アンコーラ・ピウ・アニマート)
「マブ」というのは、シェイクスピア版の舞踏会の直前、
マキューシオとロメオの会話の中で出て来ます。
「昨日、不思議な夢を見た」と語るロメオに、
マキューシオが「ああ、おまえ、マブの女王と一緒に寝たな」と返すところ。
マキューシオは、このマブの女王を「妖精たちが夢を生むのを助ける産婆役」と言っています。
先にも少しふれたように、ロミオが夢見がちな人であることは
ロメジュリにおいてとても重要で、
ロメオが夢を見られる人であるからこそ、彼はジュリエットとの恋を最後まで信じられたし、
夢を笑うマキューシオが、ロメオのシャドウ的存在になることで、
ロメオのドリーミーな性格がさらにひきたつ、と。
実際、ジュリエットの訃報を知る直前、ロメオは「夢のお告げ」と言って、
ジュリエットが、死んでいるロメオのところへやってきてキスをすると、
ロメオが目覚める――という夢を見た、と喜んでいて、
夢の内容が非常に重要であるだけに、彼と「夢」というのは、切っても切れない間柄なのですね。
ヴァルツ版では、この第4部でロレンス神父が登場し、
教会での秘密の結婚、キャピュレット家での結婚をめぐる事件が起こっています。
秘密の結婚なので、かなり照明を落とした中、
2重になった台の上の方で、ロレンス神父がロメオとジュリエットを両腕で持ちあげ、
ぐるっと回るのが印象的。
音楽的には、アレグレットになって弦のフラジオレットの上で(フラジオ使うところがさすが!)
フルートとイングリッシュホルンが、「ラーレ♪ラーレ♪ラーレーファード♯ーレーラーミーシーラ♪」と吹くところからが、ヴァルツ版の「秘密の結婚」ですね。
そして、第4部の音楽が終わると、
いったん音楽が完全に止まって、ロメオがセットを駆け上がるソロの場面。
このソロ、音楽がないことからも明らかですが、
ヴァルツ版オリジナルの挿入ですね。
一方、次がジュリエットの葬送の場面なので、
シェイクスピア版で存在している、ティボルトとマキューシオの決闘&殺害、
ロメオのマントヴァ逃亡前の、最後の逢引はカットされていることが分かります。
閑話休題。
・ジュリエットが飲んだ薬の効き目は42時間だが、研究者によっては、24時間の誤記ではないか、とする人もいる。(←作品内で言及されている時間の流れに合わないらしい)
第5部 「ジュリエットの葬送」
キャピュレット家の合唱「花を撒け、みまかれる処女のために!」
(アンダンテ・ノン・トロッポ・レント)
シェイクスピア版では、水曜日の朝にジュリエットの遺体が発見され、
皆がその死(と思っている)を悲しむ場面で第4幕が終わり、
第5幕は、マントヴァにいるロミオの「夢語り」で始まるので、
葬送の場面それ自体は、戯曲版では描かれないのですが、
ベルリオーズ版は、さすが「情景連鎖」なだけあって、
葬送の情景をばっちり取り入れています。
同じことはヌレエフ―プロコ版にも言えて、ジュリエットの葬送行進の場面があったはず。
音楽的には、フーガとミ音に固定した合唱→葬送の合唱、となっていて、
教会でのミサを思わせるような音楽作りが印象的。
ヴァルツ版では、弦がミ音連打するあたりでゆっくり床のお墓の部分が開いて、
ジュリエットが埋葬されてますね。
ついでながら、この「同音連打」というのは、
音楽的にも緊張感を生む場面で良く使われていて、
ああ、いよいよ最後の悲劇の場面が近づいているな、というのが分かります。
第6部 「キャピュレット家の墓地におけるロメオ」
・祈り
・ジュリエットの目覚め
・忘我の喜び
・絶望
・いまはの苦しみと愛しあう二人の死
(アレグロ・アジタート・エ・ディスペラート〜アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・アパッシオナート・アッサイ〜リステッソ・テンポ、ウン・ポーコ・アニマート)
墓地の場面は、シェイクスピア版だとロメオとパリスが決闘してますが、
先の第4部で特にパリスが出てくるわけでもなく(要は「ジュリエットが薬を飲んで仮死状態になる」という事だけが重要なので)、したがってこの第6部でも、ロメオとパリスの決闘があっさりカットされています。
情景描写なので、これも問題ナシ。
すごいのは、始まってすぐの1分すぎあたり、
オイレンブルク版のスコアを見ると、フェルマータ付きの全休符が、
ほとんど1ページ埋め尽くしているところがあって(p.254)、
これはある意味壮観(笑)
リステッソ・テンポからあとの個所も、フェルマータ付きの全休符で
音楽がばつっ!ばつっ!と切られていたり、
最後の最後でオーボエ・ソロがppppという最弱音でふら〜っと下行音型を吹いたり、
このあたり、音楽の臨場感当社比30%UPって感じです。
第7部 「終曲」
人々は墓地に駆けつける:モンタギュー家の人々の合唱「何だと! ロメオが戻った! ロメオが!」
(アレグロ〜モルト・ピウ・レント)
ロレンス神父のレチタティーフとアリア:ロレンス神父と合唱「わたしが不思議をといて進ぜよう」
(アレグロ・ノン・トロッポ〜アレグロ〜ウン・ポーコ・メノ・アレグロ〜アンダンティーノ)
ロレンス神父と合唱「かわいそうな御子たちを悼んでわたしは泣く」
(ラルゲット・ソステヌート〜アレグロ・ノン・トロッポ〜アンダンテ・マエストーソ)
キャピュレット家とモンタギュー家の口論:合唱「だが私たちの血が彼らの剣を赤く染めている」
(アレグロ)
ロレンス神父の祈り:ロレンス神父、合唱「黙りなさい!」
(アレグロ〜アレグロ・モデラート、ウナ・ミズーラ・エグアーレ・ア・デュエ・ミズーレ・デル・テンポ・レチェデンテ)
和解の誓い:ロレンス神父、合唱「では誓いなさい。神聖な御印にかけて」
(アンダンテ・ウン・ポーコ・マエストーソ)
終曲の第7部は、バス・ソロと合唱の長大なパートです。
もう主人公の2人が死んでしまっているので、
ヌレエフ―プロコ版も、シェイクスピア版も、基本的には「死んだーーー!!!」という慟哭の中で終わりますが、
ベルリオーズが「やるな(ニヤリ)」と思うのは、
この最後の場面で、ロレンス神父による両家の仲介の場面を入れたことですね。
というのも、恋人二人の死で幕引きになると、
当然、お話のスポットライトが二人の恋愛にフォーカスするわけですが、
ここで両家の仲裁の場面を、かなり長く取り入れたこと、
さらに、それを言葉で演じる場面にしたことで、
このお話を、ロメオとジュリエットという単一の人物の物語にするのではなく、
むしろ、ロメオとジュリエットという「イデア」に仕上げたというか、
徹底した情景描写に徹するために、
最後の最後で作品の大事なテーマの一つ、社会が人を振りまわす悲劇というのを、
強く打ち出しています。
モンタギュー家もキャピュレット家の争いは、単なる勢力争い以上に、
お互いに、自分たちこそがヴェローナの街の名家である、という名誉を持っているものですから、
大公が仲裁に入ろうと、決して引くことが出来ない争いなのですね。
だからこそ、剣を抜いて命を張って闘う訳ですが、
ロメオとジュリエットの方も、名誉をかけて恋しているわけで、
ジュリエットは、ロメオと結婚した以上、パリスとの結婚なんてありえないからこそ断固拒否するし、
ロメオも、ジュリエットの死の誤報を受けて、追放処分の身ながらヴェローナに帰るのは、
彼女の夫としての名誉があるためといえます。
この「名誉×名誉」みたいなぶつかり構造があるからこそ、
作品が一層ドラマチックになる。
この辺りのことは、河合祥一郎先生の御本に詳しく書いてありますので、
ヌレエフ版を見るにしても、ヴァルツ版を見るにしても、お薦めの一冊です。
という訳で、結論。
やっぱりベルリオーズはすごかった(笑)
曲の解説が第1部で終わってしまったので、続きをば。
第1部が、作品全体の解説の役割を果たしているので、
本編は第2部からです。
先のエントリーにも書きましたが、ベルリオーズの「ロメジュリ」は、
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の「最も目立つ各場面の”情景”を描く」という点にありますので、
この第2部から本編が始まると言っても、
シェイクスピアの戯曲や、プロコのバレエ版のように、
逐一、登場人物間の一つ一つのやりとりを描いて行くわけではありません。
というわけで、ベルリオーズの曲を聞いていても、
ティボルトやマキューシオの主題のようなものが明確にあるというのでもないし、
(↑こうやって音楽にダイレクトに登場人物を登場させてしまうと、交響詩になってしまう)
舞踏会への忍び込みすら、まるで劇のセットがぱっと変わるか、
映画のように、次のカットでいきなり舞踏会!という感じ。
なので、音楽だけ聴いていると、本当にそれぞれの情景が張り絵のように「ぺたっ」と連続している感じがします。
こうすることで、第2部の場合は、
ロメオの心理状態に焦点を当てた状態で、舞踏会の場面にスムーズに移行できると。
まあ、もともとバレエの音楽は、物語を語るためというよりも情景を描くことに主眼があるので、
ベルリオーズのこういう音楽は、その意味で振付が入り込む余地がある作品と言えるでしょう。
舞台音楽は、この「余地」をいかに作るか、に作曲家の腕が試される分野で、
逆に、既成の曲に振付を付ける場合は、いかに「余地」を持った曲を探してくるか、というのが、
振付家、ないしドラマトゥルクの腕の見せ所と言えるかと思います。
デコりすぎのネイルアートが視覚的にうるさいのと同様に、
すでに情報がぎっちり詰め込まれた音楽に他の要素を加えると、とたんに「うるさい」舞台になってしまう。
なので、ヴァルツの振付では、ベルリオーズの音楽の「張り絵」を、いわば「3Dの絵」にするために、
振付で舞踏会への参加の過程が、やはり少し視覚的に説明されていると思います。
例えば、舞踏会のシーンへ移る前に、ロメオ役が同じ黒い衣装を着た2人の他のダンサーと一緒に踊ることによって、
シェイクスピア版でロメオ、マキューシオ、ベンヴォーリオが、
キャピュレット家の舞踏会に忍び込もうぜ!と相談しているシーンを、
観客に想起させることが出来ますね。
まあ、ベルリオーズの曲が「情景の連鎖」であることは、
ここに書くまでもなく、ベルリオーズが各部分に付けたタイトルを見れば、
おのずと情景描写であることは分かるのですけれども(笑)
第2部
・ロメオひとり
・哀しみ
・遠くから聞こえてくる音楽会と舞踏会
・キャピュレット家の饗宴
(アンダンテ・マリンコニコ・エ・ソステヌート〜アレグロ〜ラルゲット・エスプレッシーヴォ〜アレグロ)
第2部の音楽の面白さは、まず「ロメオひとり」の部分のふらふら上下行する半音階。
出だしから、1stヴァイオリンが奏するのですが、
例えば、
「ドファーーミ/ミ♭ーレミ ミ/レーーララ♭ソ/レ♭ード」
「シソーーソ♯/ラーシ♭シ♮ド/レーレ♭ドーシ♮ーミ/ミーーー」
と、半音でずりずり上がったり下がったり、という繰り返しの多いこと。
ダイナミクスも、ppp → ポコ・クレッシェンドでf → dimしてpp、と変化が激しいので、
これだけでも、ベルリオーズが速度表示で指示している、ロミオのメランコリックな側面が分かります。
メランコリックというか、ドリーマーなのかな。ロミオはマキューシオと違って、恋を信じている人で、
だからマキューシオにからかわれるのですものね。
ラルゲット・エスプレッシーヴォの個所に入ると、低弦がピッツィカート、打楽器群にバスク・タンバリンが加わって、ロミオの耳に舞踏会の音楽がちらほら届いている様子。粋だなあ。
で、アレグロから低弦の「ドレミファファ♯/ソーファファミミレ/ドー♪」が聞こえてくると、
もうロメオはキャピュレット家の宴会を見聞きできる場所まで来ています。
ここらへんは、振付でもきっちり対応していた印象。
アレグロの出だしで、ロメオと2人の黒服さんが、白い板の後ろで仮面を付けていたと思います。
舞踏会の旋律(「ドーシ♮シ♭ララソソッファー♪ラソファファミミードミミソソミファー♪」)は、
下行する音階。
同じ下行でも、「ロメオひとり」が半音階のずるずるぐずぐずした旋律なのに対し、
こちらはF-durの音階をほぼそのまま使ってあって、
テンポが速くなっているという事もありますけれど、ノリの良い旋律です。
これが弦から木管に移った後の部分、弦のピッツィカートが低弦から上に移動して行くところとか、
ベルリオーズ、ホントすごいなー(笑)
宴の最後は、シンバルじゃんじゃん鳴りまくりで盛り上がってます(笑)。
閑話休題。
・シェイクスピア版で、ロメオがキャピュレット家の舞踏会に忍び込むのは、
その時恋していたキャピュレットの姪、ロザラインの姿を一目見るため。ロメオ結構心変わり早い(笑)?
・ていうかそもそもロザラインに恋している時点で、敵方を好きになっている(笑)
・舞踏会の開催は日曜の夜。ちなみに幕開きの時間設定は日曜朝9時前。
第3部「愛の場面」
・静かに晴れた夜
・静かで人影のないキャピュレット家の庭
宴から帰るキャピュレット家の若者たちが、舞踏会の音楽を思い思いに口ずさみながら通り過ぎる。
(アレグレット)
(アダージョ〜アニマート〜アレグロ・アジタート〜アダージョ→PDD)
第3部の頭は、合唱が入り、
直前の舞踏会の場面で出てきた旋律の断片を歌っています。
歌詞でいうと、「bal divin, quel festin que de folles paroles」のあたり。
先の、舞踏会の旋律(「ドーシ♮シ♭ララソソッファー♪ラソファファミミードミミソソミファー♪」)に続く、
「ドーレドレドレ/ドーシ♭シ♭ソソミ」の旋律ラインが、
始まって2分くらいすると、繰り返されて出てきます。
テンポはゆっくりしているので、舞踏会の出席者が、
会の余韻を楽しみながら帰っている様子。
ヴァルツの振り付けでも、上手から下手へ、踊り疲れてねじまき人形のようになったバルの客たちが
舞台を横切っていきます。
合唱の部分が終わってアダージョに入ると、
いよいよ、シェイクスピア版のバルコニーの場面。
ヴァイオリン1が「シラ♪ソ♯ファ♯♪/ド♯ミ♪レ♯シ♯/ド♯」と、
いわゆる「ためいき音型」と言われる形の旋律をppで奏します。
これは楽譜で見ると一目瞭然なんだけどなー。
ジュリエットに恋してしまったロメオのため息でしょうかね。
このため息に引き続いて、ヴァルツ版バルコニーPDDのメイン旋律、
「ミーーーーーレミファファーソファミーレーミーーー♪」が、
4番ホルン&チェロで奏されます。PDDのはじまりはじまり。
ここらへんの旋律は、基本的にぐんぐんオクターヴ上行して、
頂点に達したらふわりふわりと下行するパターン。
テンポを頻繁に変えることで、恋した最初のころの心の上ずりみたいなドキドキ感が出てます。
幸せなんだけど、うわぁ、もうどうしよう!というあの感じ。
第4部 「愛の妖精の女王マブ」
・スケルツォ
(プレスティシモ〜アレグレット〜テンポ・プリモ・ウン・ポーコ・ピウ・プレッソ〜プレスト、アンコーラ・ピウ・アニマート)
「マブ」というのは、シェイクスピア版の舞踏会の直前、
マキューシオとロメオの会話の中で出て来ます。
「昨日、不思議な夢を見た」と語るロメオに、
マキューシオが「ああ、おまえ、マブの女王と一緒に寝たな」と返すところ。
マキューシオは、このマブの女王を「妖精たちが夢を生むのを助ける産婆役」と言っています。
先にも少しふれたように、ロミオが夢見がちな人であることは
ロメジュリにおいてとても重要で、
ロメオが夢を見られる人であるからこそ、彼はジュリエットとの恋を最後まで信じられたし、
夢を笑うマキューシオが、ロメオのシャドウ的存在になることで、
ロメオのドリーミーな性格がさらにひきたつ、と。
実際、ジュリエットの訃報を知る直前、ロメオは「夢のお告げ」と言って、
ジュリエットが、死んでいるロメオのところへやってきてキスをすると、
ロメオが目覚める――という夢を見た、と喜んでいて、
夢の内容が非常に重要であるだけに、彼と「夢」というのは、切っても切れない間柄なのですね。
ヴァルツ版では、この第4部でロレンス神父が登場し、
教会での秘密の結婚、キャピュレット家での結婚をめぐる事件が起こっています。
秘密の結婚なので、かなり照明を落とした中、
2重になった台の上の方で、ロレンス神父がロメオとジュリエットを両腕で持ちあげ、
ぐるっと回るのが印象的。
音楽的には、アレグレットになって弦のフラジオレットの上で(フラジオ使うところがさすが!)
フルートとイングリッシュホルンが、「ラーレ♪ラーレ♪ラーレーファード♯ーレーラーミーシーラ♪」と吹くところからが、ヴァルツ版の「秘密の結婚」ですね。
そして、第4部の音楽が終わると、
いったん音楽が完全に止まって、ロメオがセットを駆け上がるソロの場面。
このソロ、音楽がないことからも明らかですが、
ヴァルツ版オリジナルの挿入ですね。
一方、次がジュリエットの葬送の場面なので、
シェイクスピア版で存在している、ティボルトとマキューシオの決闘&殺害、
ロメオのマントヴァ逃亡前の、最後の逢引はカットされていることが分かります。
閑話休題。
・ジュリエットが飲んだ薬の効き目は42時間だが、研究者によっては、24時間の誤記ではないか、とする人もいる。(←作品内で言及されている時間の流れに合わないらしい)
第5部 「ジュリエットの葬送」
キャピュレット家の合唱「花を撒け、みまかれる処女のために!」
(アンダンテ・ノン・トロッポ・レント)
シェイクスピア版では、水曜日の朝にジュリエットの遺体が発見され、
皆がその死(と思っている)を悲しむ場面で第4幕が終わり、
第5幕は、マントヴァにいるロミオの「夢語り」で始まるので、
葬送の場面それ自体は、戯曲版では描かれないのですが、
ベルリオーズ版は、さすが「情景連鎖」なだけあって、
葬送の情景をばっちり取り入れています。
同じことはヌレエフ―プロコ版にも言えて、ジュリエットの葬送行進の場面があったはず。
音楽的には、フーガとミ音に固定した合唱→葬送の合唱、となっていて、
教会でのミサを思わせるような音楽作りが印象的。
ヴァルツ版では、弦がミ音連打するあたりでゆっくり床のお墓の部分が開いて、
ジュリエットが埋葬されてますね。
ついでながら、この「同音連打」というのは、
音楽的にも緊張感を生む場面で良く使われていて、
ああ、いよいよ最後の悲劇の場面が近づいているな、というのが分かります。
第6部 「キャピュレット家の墓地におけるロメオ」
・祈り
・ジュリエットの目覚め
・忘我の喜び
・絶望
・いまはの苦しみと愛しあう二人の死
(アレグロ・アジタート・エ・ディスペラート〜アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・アパッシオナート・アッサイ〜リステッソ・テンポ、ウン・ポーコ・アニマート)
墓地の場面は、シェイクスピア版だとロメオとパリスが決闘してますが、
先の第4部で特にパリスが出てくるわけでもなく(要は「ジュリエットが薬を飲んで仮死状態になる」という事だけが重要なので)、したがってこの第6部でも、ロメオとパリスの決闘があっさりカットされています。
情景描写なので、これも問題ナシ。
すごいのは、始まってすぐの1分すぎあたり、
オイレンブルク版のスコアを見ると、フェルマータ付きの全休符が、
ほとんど1ページ埋め尽くしているところがあって(p.254)、
これはある意味壮観(笑)
リステッソ・テンポからあとの個所も、フェルマータ付きの全休符で
音楽がばつっ!ばつっ!と切られていたり、
最後の最後でオーボエ・ソロがppppという最弱音でふら〜っと下行音型を吹いたり、
このあたり、音楽の臨場感当社比30%UPって感じです。
第7部 「終曲」
人々は墓地に駆けつける:モンタギュー家の人々の合唱「何だと! ロメオが戻った! ロメオが!」
(アレグロ〜モルト・ピウ・レント)
ロレンス神父のレチタティーフとアリア:ロレンス神父と合唱「わたしが不思議をといて進ぜよう」
(アレグロ・ノン・トロッポ〜アレグロ〜ウン・ポーコ・メノ・アレグロ〜アンダンティーノ)
ロレンス神父と合唱「かわいそうな御子たちを悼んでわたしは泣く」
(ラルゲット・ソステヌート〜アレグロ・ノン・トロッポ〜アンダンテ・マエストーソ)
キャピュレット家とモンタギュー家の口論:合唱「だが私たちの血が彼らの剣を赤く染めている」
(アレグロ)
ロレンス神父の祈り:ロレンス神父、合唱「黙りなさい!」
(アレグロ〜アレグロ・モデラート、ウナ・ミズーラ・エグアーレ・ア・デュエ・ミズーレ・デル・テンポ・レチェデンテ)
和解の誓い:ロレンス神父、合唱「では誓いなさい。神聖な御印にかけて」
(アンダンテ・ウン・ポーコ・マエストーソ)
終曲の第7部は、バス・ソロと合唱の長大なパートです。
もう主人公の2人が死んでしまっているので、
ヌレエフ―プロコ版も、シェイクスピア版も、基本的には「死んだーーー!!!」という慟哭の中で終わりますが、
ベルリオーズが「やるな(ニヤリ)」と思うのは、
この最後の場面で、ロレンス神父による両家の仲介の場面を入れたことですね。
というのも、恋人二人の死で幕引きになると、
当然、お話のスポットライトが二人の恋愛にフォーカスするわけですが、
ここで両家の仲裁の場面を、かなり長く取り入れたこと、
さらに、それを言葉で演じる場面にしたことで、
このお話を、ロメオとジュリエットという単一の人物の物語にするのではなく、
むしろ、ロメオとジュリエットという「イデア」に仕上げたというか、
徹底した情景描写に徹するために、
最後の最後で作品の大事なテーマの一つ、社会が人を振りまわす悲劇というのを、
強く打ち出しています。
モンタギュー家もキャピュレット家の争いは、単なる勢力争い以上に、
お互いに、自分たちこそがヴェローナの街の名家である、という名誉を持っているものですから、
大公が仲裁に入ろうと、決して引くことが出来ない争いなのですね。
だからこそ、剣を抜いて命を張って闘う訳ですが、
ロメオとジュリエットの方も、名誉をかけて恋しているわけで、
ジュリエットは、ロメオと結婚した以上、パリスとの結婚なんてありえないからこそ断固拒否するし、
ロメオも、ジュリエットの死の誤報を受けて、追放処分の身ながらヴェローナに帰るのは、
彼女の夫としての名誉があるためといえます。
この「名誉×名誉」みたいなぶつかり構造があるからこそ、
作品が一層ドラマチックになる。
この辺りのことは、河合祥一郎先生の御本に詳しく書いてありますので、
ヌレエフ版を見るにしても、ヴァルツ版を見るにしても、お薦めの一冊です。
という訳で、結論。
やっぱりベルリオーズはすごかった(笑)












